「人類のやっかいな遺産」 ニコラス・ウェイド 著 山形浩生、守岡桜 訳 晶文社 2016年 / 「元サルの物語 科学は人類の進化をいかに考えてきたか」 ジョナサン・マークス 著 長野敬、長野郁 訳 青土社 2016年



今回は、二冊の書籍「人類の厄介な遺産」と「元サルの物語 科学は人類の進化をいかに考えてきたのか」を読み比べてみようと思う。最初に断っておくと、この2冊を選定したことの意味は、ある種単なる恣意であり、確たる理由があってのことではない。たまたま、私自身が、「人類のやっかいな遺産」の原著「A TROUBLESOME INHERITANCE」を6〜7割方訳出したものの、それが出版社から内容的に不穏当との理由で出版を却下されて流れてしまい(後に知らないうちに別の版元から別の訳者によって出版されたが)、一方、「元サルの物語〜」(「Tales of the EX-APES」)は、訳出後、無事刊行された、という事情以上の理由ではない。


しかしながら、これはあくまでもある種の「読み」としての問題だが、ある種の「読み方」を試みると、「元サルの物語〜」は、「人類のやっかいな遺産」に対して、反論というか、ある種の答辞になっているようにも読めるのである。勿論、「元サルの物語〜」は、先行する「人類のやっかいな遺産」を引用文献として挙げておらず(後日註:これは誤り。第7章の原註41番に「人類のやっかいな遺産」の名が在る。)、本文中でも直接的には言及もしておらず、そのような読み方をされるのは著者にとっても本意ではないかも知れない。にも拘らず、この両者には、単なる符号を越えた一種の応答関係のようなものが存在する。

無論、2014年に「A TROUBLESOME INHERITANCE」が刊行され、翌2015年に「Tales of EX-APES」が刊行されているというモノの順序から推測すれば、後者の著者JONATHAN MARKSが、前者、NICHOLAS WADEの著作を読んでいた、という可能性は当然有り得ることである。にも拘らず、後者が前者に対する直接的言及を含んでいないという事実には、敢えて勘繰るなら、何か理由がありそうだ。それは勿論、言及することで却って「A TROUBLESOME INHERITANCE」に名声を与えてしまう事を避けるといった配慮だったかも知れない。名指しの批判をすれば、当の批判対象も有名になる。MARKSは、具体的に言及しないことによって、WADEの著作が、広く読まれるに価すらしない、と主張したかったのではないだろうか。


そういう前提に立った上で、さて、敢えて両者を比較対照すると、色々面白いことが見えてくる。まず、取り上げているトピックの共通性。生物学的(とりわけ遺伝学的)な議論としては、鎌状赤血球貧血やサラセミア突然変異による血液病とマラリア耐性の関係にまつわる話題、乳成分を消化するラクトース耐性遺伝子の分布と広がりに関する話題、アシュケナージ系ユダヤ人のテイ=サックス病を始めとするいくつかの遺伝病と知能の関係に関する話題、などである。また、身体人類学的なトピックとしては、頭蓋測定を行う骨相学に関する話題、そして社会的な話題としては、いわゆる「社会ダーウィニズム」とナチスの関係に代表される進化理論の人類社会上への単純な適用に関する話題などである。

無論、こうした符合は、人類進化をテーマにした著作をものそうとした場合には、広く知られている一般的なトピックであるがゆえに必然的に話題とせざるを得ない、という側面はあるに違いない。つまり、こういう、トピック面での「符合」は、符合というよりは必然である。


しかし、単なる素材としてのトピックを越えたレベルでも、「Tales of EX-APES」には「A TROUBLESOME INHERITANCE」の答辞になっているかのように読める箇所も存在している。

これは例えば、チンパンジーと人間の家族制度の比較対象と、そこから見えてくる人類社会の特質の描写とか、「文化」と云うモノを人類の「生物学」に対して対置するという全般的な世界観というかパースペクティヴの取りようにおける符合(と対照)とか、そういった話題である。

とりわけ問題なのが、「文化」の扱いである。「人類の厄介な遺産」においては、文化の差とは、人間の社会行動の微妙な進化的変異の反映であると云う。社会制度や文化は、ここ数万年〜数千年において進化的な淘汰圧によって選択された社会行動上のふるまいの形質の反映であるというのだ。これは、常識に照らせば、目新しい議論である。何故なら、「元サルの物語〜」でも述べられていることだが、常識的な進化と文化の関係とは、それこそいわゆる新人類(現生人類)が出現した時点で、その人類は、脳機能においては現代人類と同等であったという考えが一般的で、そうした祖先人類も、もし「現代の文化」がその環境として与えられたなら、その文化を脳内に構成する能力があったとみる観方が支配的だからだ。

但し、ここで注意すべきことは、「元サルの物語〜」も、「文化」に関しては、「生まれつき」「生得」に対置される概念として扱っているわけではないと云う事だ。これはどういうことかと云うと、いわゆる「氏か育ちか」的議論をナンセンスとして一蹴している点では、「元サルの物語〜」も、「人類のやっかいな遺産」とある意味共通する論調を持っていると云う事である。すなわち、文化とか、その基盤になっている個人の社会的振る舞いと云うものは、人間が生得的に持っている能力を基盤として、その上に開花するものであり、人間の子供の発達史に関しては、生得的な形質と文化的な習得は不可分に結びついた一連のプロセスであって両者を対置するようなものではないという見解に立っていると云う事だ。これは、「元サルの物語〜」においては、結論とまでは言わないにしても、主題めいた主要なテーゼであり、議論の根幹をなす話題の一つだ。


基本的には、この考え方は「人類のやっかいな遺産」においても採用されており、両書における共通の主張と見て取れる。だが、「人類のやっかいな遺産」は、ここからさらに一歩進んで、こうした社会的振る舞いの発達の背後には、ことごとく遺伝学的な裏付けがある、と説く。具体的に社会的振る舞いを支配する遺伝子の例として、MAO-A遺伝子を取り上げ、これが機能しない突然変異においては、攻撃性が高まると云った例示を出してきている。もちろん、こうした具体的対応が明らかになっているのはあまりにも氷山の一角で、大半の「社会的振る舞いの遺伝子」は未知であるとしているし、攻撃性一つ取っても、それを左右する遺伝子は、MAO-A以外にも多数存在するので、一つMAO-Aのみを以て「攻撃性の決定要因」とは言えないと云う留保は付いてはいるが。

先に述べた通り、こういう、社会的振る舞い、ひいては文化を、遺伝学的要因で説明しようとする試みは、ある意味新奇なものである。「人類の厄介な遺産」の主要な主張としては、この文化の遺伝学的説明、というコトに加えて、文化を進化させた人類の遺伝学的進化は現在も進行中であり、数千年といった極めて短いスパンにおいても、淘汰圧は、何らかの優位な形質を選択しうるのだ、という主張がある。「人類のやっかいな遺産」の中では、これを主張する為、氷河期に適応した人類進化によって「新人」が現れるという生物学的進化がまず起こり、その後、進化が停止してから「文化」の「進化」が始まった、とするのが在来の主流となっている学説だ、とまで述べているが、そうまでは言わないにしても、(「元サルの物語」でも述べられているように)人類の生物学的進化は極めてゆっくりなので、急速に進展する文化的変容においては、生物学的進化は支配要因にはならない、とするのが一般的な見方ではあろう。ただ、「人類のやっかいな遺伝」は、「ヒトゲノムの分析が進んだおかげで、人類の進化は最近も続き、しかも大量に起こ」っている、と述べている。これがデータに基づいた「事実」であるなら、こうした主張も傾聴に値する議論ではあるのだろう。こうした議論の当否に関しては、WADEも現在の乏しい知識では将来的にはこうした議論は改定が必要になるかも知れないと述べているが、いずれにせよ、今後慎重に検討される必要があるだろう。


こうした「人類の進化が現在進行形である」という主張と並んで(密接に関連しつつ)、「人類のやっかいな遺産」を特徴づけている議論が、「人種が実在する」という主張である。これは、遺伝的変異の「ハードスイープ」と「ソフトスイープ」といった綿密な議論も下地にし、「人種」とは「遺伝型」の変異ではなく「対立遺伝子頻度」の変異であるという科学的に正当な前提の上でのことではあるが、「人種」が、五大陸を基準に分割可能で、実体として認められる、という議論である。この点に関しては、「元サルの物語〜」は、いわゆる「穏当な」見解に終始しており、「個人間の変異は『人種』間の変異よりも大きい」といった論拠に依って、人種を「光学的幻想」と断じている。ただ、「人類のやっかいな遺産」が主張しているように、「人種は存在しない」というテーゼ自体、「人種に関するユネスコ声明」のような一種「政治的な」主張によって裏打ちされているという現実もある。これが、第二次世界大戦の反省に立って打ち出されたものであるにせよ、「人類のやっかいな遺産」が主張するように、逆に反動的になってしまって、実際には認識可能な実体である「人種」を禁圧する結果になってしまったという側面は、無くもない。そういう意味では、この論点もまた、今後慎重に検討される必要があるだろう。


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